■■■ サイズ ■■■
長さ 342cm 幅 30cm程
■■■ 商品詳細 ■■■
【正絹】
状態は締めてはおりますが
特に目立ったシミ汚れなどもなく大変良い状態です。
喜多川平朗は、明治31年(1898年)に、京都府京都市で生まれました。
喜多川平朗は本名ではなく、平郎です。
父親の喜多川平八も、西陣織の名匠として知られていました。
歴史ある機家俵屋の家庭に生まれ、家をついでいます。
喜多川平朗で17代続く家系です。
江戸の末期に有職織物などを手がけていた家柄です。
学生時代は画家を志していました。
日本画を京都市立絵画専門学校で学び、日本画の素養があります。
兵役にゆき、除隊後は家業を継ぎました。
高田義男氏と協働しながら、京都で工房を設立します。
昭和3年には、昭和天皇即位用の装束織物なども手がけました。
伊勢神宮式年遷宮の織物や、衆議院、貴族院などの織物を制作するなど、
精力的に活動しました。宮中や神社や神宮などへの調達品なども、
喜多川平朗の手によるものが非常に多いのです。
大正~昭和の正倉院資料調査整理などに刺激を受けて古典染織の研究に入り、
31年から正倉院裂(ぎれ)の調査を行い、錦(にしき)、綾(あや)、羅(ら)など、
古代の織技や染色技法の復原を試みた。
とくに、衰退していた古代以来の羅を体系だてて復原、56年(昭和31)には「羅」、
60年には「有職織物」の重要無形文化財保持者に認定された。
昭和31年、人間国宝に認められました。
羅の織文様は、一本の経糸(たていと)を左右の経糸と絡み合わせて織ることで表れる。
この経糸の絡みによって織物の表面に斜線模様が生まれ、
さまざまな襷(たすき)文や菱文を織り出す。
中国で織り方が考案された羅は、7世紀頃に日本に伝わり、
奈良・平安時代にさかんに製作されたが、鎌倉時代には衰退した。
喜多川さんは、正倉院裂の羅が持つ気品、織の複雑さにひかれて復元に取り組んだ。
大変上質な極上の逸品になります。
お安く出品致しますので、是非この機会にいかがでしょうか?
※できる限り実物に近い色味での撮影を心掛けておりますが、
稀に異なる場合がございます。
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※縫込みの長さが左右非対称の場合は短い部分を記載しております。
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※【洗える着物】と記載のある商品におきましては、商品お届け後に洗濯を行ってしまってからのご返品にはご対応しかねます。
念の為、専門店でのお手入れをお願いいたします。
※着物のサイズ目安は下記を参考ください↓
<女性着物> お端折り次第で+5㎝ -10㎝が着用可能サイズ
例)身丈170㎝の場合、身長160㎝~175㎝
<男性着物> 身丈+約25㎝~27㎝程が適応身長
例)身丈155㎝の場合、身長180~182㎝
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