富弘さんは群馬大学卒業後の1970年4月、体育教師として高崎市立中学校に赴任した。はつらつとした青年教師の人生が暗転したのは2カ月後だった。
クラブ活動で空中回転の模範演技をし、誤って頭から転落。第4頸椎(けいつい)骨折、頸髄(けいずい)を損傷し、手足がまひした。
群大病院での闘病生活は、母親の献身的な介護や信仰に支えられた。72年12月、看護学生の助言でベッドに横向きになってガーゼを巻いたペンを口にくわえ、持ってもらったスケッチブックにむかった。
みどり市立富弘美術館
1991年(平成3年)、群馬県勢多郡東村(当時)の草木湖のほとりに、星野富弘の作品を展示する村立富弘美術館が開館した。ふるさと創生資金を活用し、使われなくなっていた福祉施設を改築して、美術館にしたものである。
この頃すでに、全国各地で開催されていた「花の詩画展」やテレビ番組、また教科書に掲載された随筆などによって、星野富弘の名は広く知られていたことから、富弘美術館は開館当初から多くの入場者が訪れ、2002年(平成14年)には入館者が400万人を超えるまでになった。2005年(平成17年)に新富弘美術館建設国際設計競技を経て、旧館の隣に新館の建設に着手、同年4月16日に新しい富弘美術館が開館した。
芦北町立星野富弘美術館
2006年(平成18年)5月、みどり市立富弘美術館の姉妹館として、熊本県葦北郡芦北町に芦北町立星野富弘美術館が開館した。
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