◇小林 一茶
俳人(信濃国柏原村の人) 残念ながらイタミ多く状態悪い
15歳より江戸に奉公に出て葛飾派三世の溝口素丸 二六庵小林竹阿 今日庵森田元夢らに俳句を学び29歳で14年ぶりにふるさとに帰る
30歳から36歳まで関四国 九州の俳句修行旅に明暮れる
39歳父の看病で一時帰郷するも父没後は江戸蔵前札差夏目成美に指導をうけ房総の知人・門人を訪ね俳句指導し生計をたてる。
50歳の冬故郷に戻り翌年遺産交渉が和解し52歳で、28歳のきくを妻に迎え、長男千太郎、長女さと次男石太郎三男金三郎と子どもが生まれるもいずれも早逝し、妻きくも37歳の若さで亡くなる。
家庭的には恵まれず北信濃の門人を訪ねて、俳句指導や出版活動を行い、句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、句文集「おらが春」等をあらわし、2万句にも及ぶ俳句を残す。
文政10年柏原宿の大半を焼く大火に遭遇し、母屋を焼失し土蔵に移りこの年の11月19日65歳の生涯をとず。
本名)小林弥太郎 俳号)一茶 別号)圯橋 菊明 新羅坊 亜堂 庵号)二六庵 俳諧寺
宝暦13年(1763)〜文政10年(1828)没65歳
◇ おどる夜や さそい出さるる 菴の笠 一茶
◇古いものですのでキズ ヨゴレ イタミ キレ オレ シミ ヤケ カケ 虫クイ等が有る場合がありますので、画像でご納得の上での入札をお願いいたします。
◇正式な鑑定は受けておりませんので、ご理解下さい。
◇出品者が長年にわたり収集してきたモノを出品しておりますので、長期保存品です。新しいものではありませんので骨董に詳しい方のみの入札をお願い致します。
◇よみについては正確でない場合もありますのであくまでも参考程度として誤りありましたら訂正下さい。